私の母は十勝清水出身なので、私は母が里帰り出産した先の病院、帯広市で生まれ、釧路で育ちました。
本拠地は“釧路町”。富原小・小中学校、江南高校卒です。
実家は中学生まで石炭ストーブの家でした。銭湯は習慣で冬でも家族みんなで歩いて「まりも湯」によく行き、車で行く「さくら湯」の日は、なんだか特別な気分でした。(まだ、あるのかな?)
当時は何もない町で、退屈と思っていたけど、札幌で生活してみて、自分がたいしたものを望んでいないことに気が付いた今となっては、この町でゆっくりしたいと思うのに、実家が無いのが残念。
写真は2020年、コロナ禍1年目。宿泊施設も自粛モードの中、キャンピングカーで道央~道東を巡った時の母校。
砂利道を歩きたい。
“まちのいえ”と言う名前の由来
“まちのいえ”は私が運営している札幌市南区のポータルサイトと同じ名前です。
家に帰ったらランドセルを放り投げ、人の家のトタン屋根の物置に上り、ドタバタと鬼ごっこをする。建築中のアパートの基礎に木の板を渡し、シーソーを作る。そしてオデコをパッカリ負傷をする。つららも食べたし(笑)、勝手に遊びに行く近所のおばさんの家もあり、親と繋がりのない大人がたくさんいました。
私には、娘と息子がいます。
娘が小学校に上がるときに【娘が毎日の放課後を児童館で過ごすのは避けたい。子どもの放課後の過ごし方に選択肢を与えたい】と思って、フルタイムの仕事を辞め、フリーで働くことにしました。
5歳下の息子が1年生になるまでにフリーの仕事を定着されることを目標にし、息子が小学校に上がった今では、娘も息子も放課後の過ごし方を自分で選択して(公園に行ったり、ゲームをしたり)自分の好きなように過ごしています(今はコロナで自由も半減ですが…)。
さて、我が子が無事に【放課後の自由】を手に入れたら、今度は友達です。
子どもの放課後に子ども自身の自己決定権を
2018年、【子どもたちの放課後の充実】が私のビジョンになりました。
札幌市の子育て事情は「働く保護者の都合で子どもの放課後のスケジュールは習い事でいっぱい」と言う家庭が珍しくありません。【その習い事、子どもは本当にしたいのか?】が私の疑問です。でも、仕方がないんです。児童館はシステム的だし、かと言って家に一人で留守番させるには不安…子どもには子どもらしい選択肢が少ないんです。
地域に、遊んでいる子どもを見守る“まちのいえ”があったらいいな。
“まちのいえ”は大人の職場で、子どもの遊び場じゃないけど、カギを忘れた子どもに寄り添ったり、ケガをした子どもにサビオをあげたりする、そんな場所です。(⇒まだ、ありません。これからつくります。)時代や環境のせいするだけじゃなく、何か取り組めることがあると思っています。
児童館と自宅の間。
パソコンから遠い人と
その為に、「どこでもできる仕事」をつくりたくて、一足先に“まちのいえ”には札幌市南区版があります。
南区版ポータルサイト“まちのいえ”の管理・運営を通して、パソコンから遠い特に母親世代にサイトの運営の方法をレクチャーすることによって、ITを知るキッカケにしたいと思っています。最近では、高校生が発信を勉強する土台にもなっています。
それと同じ仕組みで運営できるといいなと思って、釧路版にも“まちのいえ”と名付けました。
まさか、自分の釧路での幼少期のように、自分の子どもを札幌で育てたいと思って取り組んでいたことがこんな形で繋がるなんて。がぜん、力が入ります。
情報は届けるもの
ちょっとしたことがキッカケで、いろいろな想いと、仕掛けで始まるこのサイトですが、情報発信のキモは【情報を届けること】だと考えています。
「情報の循環」が大切。
新型コロナウイルスによる休校措置の期間、子どもたちの学びを止めないためにSNSでは様々な画期的な取り組みがされましたが、この環境が無い子どもはどうしているんだろう。と言うのがとても気になっていました。
2020年、【情報をSNSの外に】が私のミッションになりました。
どこかの誰か。ではなく、見てほしい人に届く発信を目指して運営していきます!
管理人のプロフィール
- パソコンとパステルのインストラクター竹村真奈美(1979生まれ)
- 「変化」が絶対条件の8月8日生まれ
- 動物占い:無頓着で楽観的な黒ヒョウ
- マヤ暦:絶対拡張kin247
- ストレングスファインダー(2021年)1位から:最上志向、戦略性、未来志向、個別化、着想
- URL:https://takemu.net/